少し前になるが令和3年7月頃、家内と三泊四日の北海道旅行に行ってきた。どうやらというかやはり子供たちは親とは一緒に行きたくないようで、夫婦二人だけの旅行になった。
洞爺湖温泉に一泊し、それから今回の主な目的地である小樽へ。
小樽は私が学生時代を過ごした地で今回訪れるのは40年ぶりになる。駅のたたずまいも当時とほとんど変わらず一瞬で時空が遡ったような感覚になった。
ひなびたアーケード街を少し散策してから、地獄坂と呼ばれた坂道を歩いて登って当時の学び舎へ到着。学内で軽食をいただき学生たちともすれ違ったが、何というか当時のほうがもっと活気があったような気がしたのはなぜだろうか。
一日目の夜、二人で小樽の飲食街にくりだし、どちらかというと地元の人々が行きそうな落ち着いた感じの鮨屋に入り、そこで握りをいただいた。ちょうどお隣に座ったその店の常連という地元のご夫婦の方と、私が小樽で学生時代を過ごしたことや今日40年ぶりにこの地を訪れたことなどなどひとしきりとりとめもない話をすることができた。そして帰り際に、「なるほどね、実は(地元の人しか来ないような)こんな店によくふらっと入ってきたなぁと思っていたのですよ。」とのこと。
そしてだいぶ夜も更けたころ、鮨屋を出て二人で飲み屋街をゆっくりと歩いているとなぜか一つの店の看板の前で足が止まった。
「あっ、この店!まだあったんだ!」
「マルジェ・ナオ?あなたが前に話していた学生時代によく行っていた店だよね。卒業とともにツケを踏み倒した店でしょ。」
「うん、そのとおりではあるんだけれど・・・この場所だったんだ・・・」
私がポカンと店の前に立ち尽くしていると、「それじゃ入ってみましょうよ」と家内が私を促す。
私は「だけど、店の外観はあまり変わっていないように見えるけれど、もう経営者は多分代わっているだろうと思うよ。」と躊躇していると追い打ちをかけるように「とにかく入ってみましょうよ!」と再び家内。こういう時は肝が据わっている。
意を決して、階段を上っておもむろに店のドアを開けると、
「あら、いらっしゃい」と店のオーナーらしい少々年配の女性が明るい声で迎えてくれた。客は他におらず家内と二人でカウンターに座り、そして私がおそるおそる切り出した。
「あのー、この店とっても久しぶりなんですが・・・この店のママさんでいらっしゃいますか?」
「そうですけど?」
「やっぱり、そうだったんだ・・・まだお店を続けていたのですね~」「僕は商大OBで40年ぶりに今東京から小樽に旅行で来ているところです。実は学生時代は時々この店に顔を出していたんですよ。そんなわけで今日はとっても懐かしいんです。」
「えー、そうなんですね!」
そういえばママは今でもクラブ単位で客を覚えていた。そして商大〇〇部所属と言えばツケもOKにしてくれた。
当時、ママは30代くらいだったのだろうか。そのあたりは不明だが少し年の離れた姉のような感じで、話しやすく男子学生から人気があった。私も先輩に一度連れていってもらってから時々顔を出すようになり、酒も飲まないのに後輩たちの前では時々格好をつけてツケ払いもさせてもらっていた。
「それで山口君は何部だったの?」
「そう卓球部だったのね。このあいだ卓球部OBの○○君がしばらくぶりで来たわよ」
「ああ、彼なら二年後輩だ」
「そういえば従業員の○○ちゃんは商大生と結婚したのよ」
などなど懐かしい話は尽きない。
そして、あっという間に時間が過ぎ、今回の旅のもう一つの(隠れた)目的でもある40年以上前のツケを払いたいというお願いを無理やり聞き入れてもらってから店を出た。
そしてこちらでも帰り際に、
「こういう出会いがあるから店は閉められないのよねえ・・・」とママ。
「ママさんもどうぞお元気で。」
宿に戻る途中の坂道を、家内が背中を一押ししてくれたこともあるにしても店に入ってみてとてもよかったと思いながら、二人で海の香りを感じながらゆっくりと歩いた。私一人では多分そのまま立ち去っていたかもしれない。
そして、40年ぶりにお会いした聖子ママは、変わらず魅力的でした。